【ジャッキー・チェンの集大成】ライド・オンを鑑賞して感じたこと
«ジャッキー・チェン50周年記念»と宣伝された新作映画「ライド・オン」を観てきた。
長年ジャッキーファンとして色んな映画を観てきた私としては今回も観ないわけにはいかないと映画館へ。
宣伝用ポスターには「これが人生の集大成」と書かれており、ジャッキーの人生に区切りをつけることを匂わせる。
これまでにも2012年公開の「ライジング・ドラゴン」にてアクション引退宣言をしたことがあるため、今作をもって引退する、みたいなことではないだろうとは思っていたが。
実際に映画を観てこの「集大成」という言葉はぴったりだと感じた。
かつては大活躍していたが現在は高齢となり思うように体が動かず仕事も金もなく1頭の馬と寂しく暮らすスタントマンのお話。
作品全体を通してジャッキー・チェン自身の出自や経歴、これまで歩んできた俳優人生が投影されているようだった。
ここからは映画のレビューというよりも、今作を観て長年のジャッキーファンが感じたことを少しのネタバレを含みながら書いていく。(ネタバレNGの方をお気を付けください。)
感想(若干のネタバレ含む)
主人公ルオはジャッキー・チェンの分身
先の説明のとおり、ジャッキー演じる主人公ルオは高齢のスタントマン。ストーリー自体はオリジナルのものでジャッキー自身とはリンクしないのだが、登場人物たちの言葉や表情にはジャッキーの人生や本音を感じ取れる表現があった。また劇中にはジャッキーの過去作のオマージュが多く散りばめられており、まさに「集大成」を感じさせる作りになっていた。
劇中、ルオの過去の活躍ぶりを映像で振り返るシーンがある。この時に流れる映像は実際のジャッキーの過去作品(ポリスストーリーや酔拳2など)の名シーン。それを見てルオが涙を流す。この時私は、この涙は演技ではなくジャッキー自身が流した本物の涙なんじゃないか思った。
ジャッキーはこれまで映画を通じて私たちに多くの感動を届けてくれた。これは私たちファン目線での話。ジャッキー自身のスタントマンや俳優としての、もっと言えば幼少期からの私生活も含めた人生は決して明るく華やかで楽しいものばかりではなかっただろう。
生まれた時から衣食住に恵まれ、人生の選択が自由にできる私たちとは違う人生だったことはジャッキーの自伝にも書いてある。大きな夢や希望を持ってスタントマンや俳優になったわけでもない。生きるため半ば流れるように映画の世界に足を踏み入れたジャッキーが成功を掴むまでに歩んできた道のりがどんなものだったのかは彼にしかわからないが、それが容易で平坦な道のりでなかったことは想像に難くない。
成功を掴んで晩年を迎えた現在のジャッキーの目に映った彼の名シーンの数々は、彼自身にいろんな感情を呼び起こしただろう。だからこそ劇中での涙が演技ではなく本物なのではないかと思った。
別の場面ではアクション仲間が撮影中の事故で大怪我を負い、もう一人の仲間が「辞めさせるべきだった」と泣きながら悔やむシーンがある。これも実際にジャッキーがこれまでスタントマンや俳優として活動していく中で同じような目にあった仲間を見てきたリアルを描写したものだろう。不運にも命を落としてしまったり、道半ばで映画の世界を去っていったり、そういった影の部分もたくさん見てきたのだと思う。
ジャッキー・チェンという人物は香港アクション映画界の中で一番の幸運の持ち主だったと言える。常に生きるか死ぬかのスタントマンとして活動を続け、やがて俳優としてスターになった。彼のこれまでのアクションやスタントを見ればいつどこで命を落としてもおかしくなかったことは明白。彼がこれまで見送ってきた仲間達の中に彼自身が入っていてもおかしくはなかっただろう。
この映画はそういう人たちに捧げられているのだと感じた。幸運にも映画界で文字通り生き残り続けることができたジャッキーがシンボルとなって、香港アクション映画界を支えてきた人たちへの様々な想いを込めた映画。そしてその想いは劇中に涙になって表れたのだと思う。
香港アクション映画という文化・時代の終わり
私はこの映画を観て一つの時代の終わりを感じた。もうかつてのような香港アクション映画は生まれないだろうという寂しさとともに。
劇中のルオは昔気質の性格で、現代のCGゴリ押しの映画に対して否定的な姿勢を見せる。実際に現代映画は人間が実際に危険な場面を演じることはなく、多くがCGによって作られている。私はこのシーンが、今後は生身の人間が実際に動いて危険を顧みず”手作り”で作っていたかつての香港アクション映画が作られることがなくなることを示唆しているように思えた。
かつてはジャッキーも新しい映画を作る側の人間だった。ブルース・リー亡き後、後継者を生み出そうと躍起になっていた香港映画界はブルース・リー映画の焼き直しのようなの作品であふれていたという。古典的なアクション映画、当時はそれが王道だった。そこからジャッキーがコメディ要素や曲芸的なアクションなど自らのオリジナリティを加え、それまでの王道アクション映画とは違う新しい作品を生み出した。結果としてそれが彼を俳優としての成功に導いた。
そんなジャッキーが時代についていけない昔気質のスタントマンを演じるというところが感慨深い。時代の移り変わりを実感する。
ジャッキー映画でお馴染みのエンドロール中のNGシーン集にも時代の変化が見られた。
かつては生身の危険なアクションでのNGを見せることで「こんなに危ないことをやってるんですよ」というメッセージを送っていた。それが今作ではワイヤーで吊られているシーンがいくつか入っており、「今はもう危険なことはやってませんよ」というメッセージを感じ取った。今作ではあえてこのようなシーンをNG集に入れたのだと思う。それはジャッキーが高齢だからなのか時代が変わったからなのかは定かではないが、この映画のストーリーから考えると後者だろうと察する。
今のところブルース・リー、ジャッキー・チェンに続く次世代のアクションスターは出てきていないけれど、今後どうなるかは分からない。アクション映画自体が廃れていってしまうのか、それとも新たなスターが新たなアクション映画を生み出してくれるのか。
いずれにしてもこれまでブルース・リーやジャッキー・チェンをはじめとする香港アクション映画界が生み出してきたアクション映画の時代が一つの区切りを迎えたのだと今作を観て強く感じた。
まとめ
作品内にジャッキー自身が投影されており、アクション映画の過去と現在を映していた。この映画はジャッキー・チェンだからこそ成立するものだろう。なかなか考えさせられるいい映画だった。
過去作のオマージュが全体に散りばめられていたのは良い演出だった。ファンは間違いなく喜ぶ。
欲を言えば、過去に共演してきた俳優の出演があればよかったなと思った。盟友スタンリー・トン監督は出てたけど、周りを固める俳優は皆中国の俳優であまり馴染みがなかった。マース、太保、マギー・チャンあたりが友情出演してくれてたら胸熱だったに違いない。でも晩年のジャッキーは中国を拠点に活動しており、この映画も中国製作。中国と香港の国際関係を考えると難しかったか。
やっぱりジャッキーは中国じゃなくて香港なんだよね。この辺の香港と中国を取り巻く国際情勢も時と共に変化したんだなとしみじみ。
リアルな当時の事を80年代から90年代にかけて香港アクション映画で活躍した日本人女優シンシア・ラスターこと大島由加里さんに聞いてみたい。当時の香港アクション映画界を実際に経験してきた貴重なお方。彼女がこの映画を観たらどんな感想を抱くだろう。
なんてことを考えてながら、私自身も何かやらねばと小さな決意が生まれた。時代の移り変わりをただ外から眺めているのではなく、自分自身で何かを生み出し時代を動かしていかねばと。これは映画に限らず何でもいいのだ。
おまけ
劇中、ルオの娘シャオバオの恋人であるルーの両親と食事をするシーンがある。ルーの父親は倉田保昭、母親はMr.シャチホコにそっくりだった。
おしまい。
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